番外編(タフティ)


今回は、番外編として、前回オススメしていた本『タフティ』について書いているみたいだよ。

『タフティ』は、ミキモトシロが読んで、今の考えにとても刺激を受けた本になるね。ミキモトシロが読んだ本を、ミキモトクロが、どう解釈したかが今回の内容になる。

サカナッチーも、最初の方だけちらっと読んだけど、ミキモトクロの今の考えとは違っていたよ?どういう事かな?

今の考えは、あくまでミキモトシロとミキモトクロが今考えて実践していることに過ぎないからだと思う。『タフティ』を読んで、ミキモトクロなりに解釈して、刺激を受けたけど、本に書いてあることができた訳ではないからね。
ということで、今回は、ミキモトクロの解釈による『タフティ』の内容について書いているみたい。正しい解釈はできていないかもしれないけど、本のネタバレになる可能性もあるから、まだ読んでない人やこれから読む人、変にミキモトクロの解釈を入れたくない人は、『タフティ』を読んでね。
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この本については色々な人が解説してるけど…解釈は色々あるみたい。だからこの記事も、ミキモトクロの今の1つの解釈ってだけ、ってことだね?
実際に本を読んだ方が、自分なりの解釈ができそうだよね。

うさっちーは、読まなくても大丈夫。考えるの好きじゃないし、読書も苦手だからね。

うん、人それぞれでいいと思うよ。ただ、オススメの本ではあるね。それじゃあ、見ていこう。

まず、『タフティ』の内容について、こういうイメージで見た、というのが次の図になるね。


え、初っ端からハードな感じなんだけど…現実って映画で、今はその中の1コマ?…それが続いてるってことは…、上映されている映画(映し出されている映画の台本)は、決まってるってこと?

解釈としては、そうなるね。ただ、これは実はとても肯定的に今の世界を見ることができるものだなって、ミキモトクロは感じたみたい。
この考えだと基本的には、今見ている映画の台本(今の現実)は変えられない、だから、自分の行動や反応、他人の行動や反応など、すべては脚本通りにしか動いてないってことになる。だって、常に「今見ている映画の台本通りに進行していく」だけなんだからね。つまり、自分や誰か、状況をも否定する要素がないんだ。

そうだね、台本通りに進行しているなら、本当は感情的にもアップダウンする必要はないってことになる、という事かな。でも、決まってるならアップダウン反応は起こりそうだね…。
ただ、そうなると、どんなに頑張っても変えられないし意味がない…ってことになってしまうんじゃない?…それってサカナッチーは納得できないんだけど。

それについては、大丈夫みたいだよ。要は、「今見ている映画の台本は変えられない」けど、「これから見る映画は選べる」「自分というマネキンは新しく占有できる」ということになるみたい。
じゃあ、どうやっていくのか?っていうのが、次からの図になる。


気づきの中心点??…どういうことだろう…。

まずはこれ大事、と言ってるみたいだね。台本の決まった映画であるから、その中の自分、だとしている限り、見ている映画は変えられない。意識って常に、今の映画の中で自分の中を見ているか、外を見ているかになってしまっているんだって。
例えば思いについてだけど、何かの現象が起きた時、自分はこう思っている、もしくは、起きている現象や、他人はこうなんじゃないか(と思ってる)、というのに意識が向いてしまうよね、で、考えたり行動している。気づきの中心点っていうのは、その内と外の二つに向いてしまってる意識を「観察している視点」ってことになるんだと、ミキモトクロは解釈したみたい。
「意識がここに向いているんだね」「こう思っているんだね」とただ認めるだけの視点に立つって事だと思う。

なるほど、今の現実は、「今の現実という台本通り」に動いているのにも関わらず、勝手に色々なことを思って考えているってことになるのかな?ただ、「この思いや考えちゃうこと自体も、この台本通り」ってことになるから、今の台本の中にいる自分を変えることって結局できない、だから「観察する視点に立つ」ということだね。

気づきの中心点って、「今はこの映画の台本を上映していますよ」、「意識が映画の中の自分の内外のどちらかに向いているよ」ってことに、気づくって事だね。で、気づいてるその位置に、自分の意識を持っていくってことだと思う。
現実に起きている時点で、それはもう上映されている映画ってことになるよね、つまり、これを変えることは難しい。ただ、自分がその映画の登場人物だと認識しながら、その中で、今の台本を変えずに自由に動くことはできるっていうことらしい(しかもこっそり…)。そのために、まずは自分の状態を把握して、意識をどこに持っていくかが重要なんだと思う。そうすることで、意識的に意思をコントロールすることができるようになるんだって。

さっきから気になってたんだけど、この三つ編みは何?

タフティと言えばこれだね。この三つ編みの先は「外部センター」と言って、エネルギー・チャクラというものらしいよ、みんなにあるんだって。ここは、ハイヤーセルフ(高次の自分)と呼ばれるものに近いらしい。三つ編みの先端に意識を移して、意図することで未来のコマを照らす。そうすると、そのコマが、物理現実として具現化されやすいらしい。

…にわかには信じられないんだけど、要は、本体側の力を貸してもらう感じかな?だから、ゴールだけを選択していると?つまり、これから見る映画を選んで、別の台本に何らかの方法で移ることができる、って事かな?

そんな感じだと思う。ただ、そのゴールに辿り着く方法は、こちら側が知る必要はないし、方法は台本側に任せる必要がある。
これが最初に理解することで大事みたいだけど、もう少し仕組みとやり方があるみたいだよ。


現実には、鏡という側面もあるみたい。つまり、自分の精神状態や行動が、常に状況へと反映されているって事らしいんだ。

自分のしたことや、発したものが、自分に返ってきている…ってことだね?

そういうことになるね。現実には二面性があるって、タフティは言ってるよ。現実は映画であり、もう一方では立体鏡でもあるって。
現実はその本質を隠しているけど、性質を理解して、鏡に映ったものを主体に流し込むことも可能なんだって。


つまり、現実は鏡で、鏡に映ったものも現実で、鏡に映ったものを変えたら現実も変わって、映画自体もゴールの台本につながっていく???

多分ね、もう今のミキモトクロの範疇を越え過ぎててこれ以上説明ができないんだけど、最終的には、その現実の性質を理解して、ちゃんと意図して、能動的に自己成長して、自分がどういう風にこの世界を生きていきたいか、生きていくのがいいか、ってことだと思うんだ。
勿論、できる人はできると思うんだけど、ミキモトクロは何度か繰り返し本を読んでるうちに、自分の意識の向け先が大事だってこと、自分のちっぽけな力より大きな力に任せることが大事だってこと、自己成長することが大事だってこと、人は鏡だから鏡に対してどう振る舞うのがいいのかっていうのを考えさせられた、って言ってたよ。
後、わからないことがあれば、『トランサーフィン』に関する本を読んでみてって書いてあった。ミキモトシロとミキモトクロは、まだ読んでないし、今回のこの解釈も間違っているかもだから、気になる人は調べてみてね。

もう少し何度も読んだら、また違う解釈もできるかもだけど、今はそれでいいんじゃないかな、…ミキモトシロとミキモトクロの場合、現実創造には程遠いけど…、内容的にはかなり面白かったみたい。それに、本を読んで刺激を受けて、今の考えにも至った訳だからね。

アドバンテージ!!!

…

…確かに、今回は、そうかも。
また、何か読んだら、番外編も書いていくみたいだから、覗いていってくれると嬉しいな。
見てくれて、ありがと。